歌手:青木美稚子 (ソプラノ) プロフィール

 東京都出身。お茶の水女子大学教育学部付属高校で音楽部に誘われたのがきっかけで、声楽の道に進む。
現役で東京芸術大学声楽科に入学し、同大学院独独唱科終了。二期会研究生を経て正会員なる。歌手として活動を続け、1984年東京芸大の声楽科講師となり、30年間学生たちの声楽指導を務める。また文化庁在外特別派遣生として、ミラノとマドリッドに留学(1994〜1995)。
 演奏歴:オペラデビューは1977年、藤原歌劇団公演「秘密の結婚」のフィダルマ役で、同年「魔的」の童子役で二期会デビューも果たした。その後、二期会や東京室内歌劇場、日生劇場、文化庁主催のオペラ公演で舞台に立つ。軽いメゾソプラノとして、「コシ・ファン・トゥッテ」のドラベッラ、「セヴィリアの理髪師」のロジーナ(1986)、「アルジェのイタリア女」イザベッラ(1994)、、市川右近演出の平安朝「ポッペアの戴冠」(1997)ではオッターヴィアを歌った。その後カヴァレリア・ルスティカーナ」サントゥッツァ(2007)、カルメン(2008)のタイトルロールを歌う。日本オペラでは、増本伎共子「浅茅ゲ宿」宮木役(1988)を歌い演じた。またズボン役も得意とし、、グノー「ファウスト」のジーベル(1978)、マスカーニ「アミーコ・フリッツ」べっぺ(1979)、ドニゼッティ「アンナ・ボレーナ」のスメトン(1982)「フィガロの結婚」のケルビーノ(1985)を特にフンパーディング「ヘンゼルとグレーテル」のヘンゼル役は二期会公演や文化庁公演でほぼ100回公演し、当たり役となった。
 N響、都響など主要オーケストラ公演にも出演。ベートーベン「第九」、モーツアルト、ヴェルディ「レクイエム」などのソリストを務める。また伊日協会主催公演ツアーで、イタリアのブレーシャ、ピアチェンツァ、カターニャなどでコンサートに出演。CD[武満徹SONGS]、[歌を求めて]をリリース。
この音楽歴は、私のメゾソプラノ時代のもの。晴天の霹靂で古稀でメゾソプラノからソプラノへ声が変わり(本当の声が見つかり)、ソプラノとしての新たな歌手人生をスタートさせている。フェルデンクライス・メソッドで「歌う体」を探しながら、「人間は如何に歌うか」の研究が生涯のテーマ。
【二期会会員、日本演奏連盟会員、日本声楽家協会会員 ラ・ムジカ声楽アカデミー主宰】

フェルデンクライス・身体メソッド:プラクティショナー青木美稚子 プロフィール

還暦の高校クラス会で体育恩師から勧められたのがこのメソッドとの出会い。初回の体験は衝撃的でした。これこそ私の求めていたもの!と直感。指導者模倣の体操や頑張る系が嫌いな私には、何より幸運の出会いでした。
指導者の指示に従ってゆっくり心地よく動くだけなのに、体に深く沁みいり、少しずつ体が変化してゆき、何か新鮮で温かく心地よいものが体に満たされ、最後には生まれ変わったような清々しさでした。
以後、変わってゆく自分に興味は尽きなくなり、さらに深く研鑽するため、清水から飛び降り?64歳で4年間の指導者養成コースに参加。またさらにアメージングな体験や発見、人間の体の素晴らしい能力に気づき、出会うことができました。
そして晴れて国際公認指導免許を取得。日々頑張ることをやめ、自分の体に気づいてゆく習慣をつけると、体の働きをより深く感じ取れるようになり、自分に自信が持てるようになりました。柔軟性がなく体に劣等感を持っていた私でしたが、体はこんなにも素晴らしい動的平衡で、一時も休まずに働いてくれていることに気づき、感謝でいっぱいです。
そして何よりの驚きは「声、歌」が変わったこと。自然の新しい声で楽しんで歌えるようになり、息も無理なく滑らかに流れてきます。この歳でソプラノに変わるとは!人生何があるかわかりません。世界でもそうあることではないのでは。
少しずつですが、フェルデンクライスに興味を持ってくれる方も増えてきました。お教室も幾つかできました。
ZOOM教室も。体を鍛えるのとは逆に、体が行ってくれていることに「気づく」こと。気づけば改善・上達の
脳のメカニズムが働くのだそうです。それは人類が得た進化の宝ものです。
人間は殆ど体のことをわからずに一生を終えるのだそうです。日常のの動きは無意識なので、私たちは気づけないのです。百歳時代を迎える今、すべての年代の方々をサポートすると信じます。私のお教室の最高齢は93歳です。彼女は無理なく優雅に動けます。気づきのメソッド~体の動きによる脳の学びのメソッド。
専門のupdate, upgradeに、日々の立ち振る舞いの改善、そして活力アップにお勧めです。是非1度ご体験を!
   不可能を可能に~可能を容易に~容易を優雅に